食べて、読んで、息をして。

24歳会社員が読んだ本とか日常のあれこれを綴るブログ。

豊かさについて考える。◼︎『モモ』ミヒャエル・エンデ

私の高校からの友人に猛烈な遅刻魔がいる。

あるとき、約束の時間に待ち合わせ場所についたが5分待っても、10分待っても現れないことがあった。さすがに心配になって連絡すると、彼女は悪びれもせず「今?最寄」と言うのだ。いやいやいや、アンタね。さらに加えて彼女は眠たげな声で「電車が間の全駅吹っ飛ばしてくれたら間に合うかも」などとのたまうのである。すでに10分遅れているというのにえらい強気である。

そんな高校時代を経て社会人となった現在、彼女との待ち合わせの際は私も大いに学習してあえて15分程遅れていくようにしているが、彼女が先にいたことはほとんどない。そして、彼女の遅刻の言い訳も相変わらずである。社会人としてどうなのかと心配になるが、私との待ち合わせ以外はほとんど遅刻はないらしい。なんでやねん。無性に腹が立つが、もう慣れっこになってしまった。

こうして私は「待ち合わせに来ない友人をひたすら待つ時間」というものを経験してきた。なんでも時間短縮が良いとされる今のご時世ではこれ以上に生産性のない時間もないだろう。しかし、私は案外こういう時間が好きだったりする。

近くのカフェに入って読みかけの本を開く。

ブラブラと気になるお店をのぞいてまわる。

ぼーっと道行く人を眺める。

 思いがけずポカンと空いてしまった時間を好きなように過ごす。そんな些細なことにちょっとした贅沢を感じるのだ。これで注文したミルクティーが美味しかったり、たまたま入ったお店でドストライクの雑貨に出会ったりするともう最高で、遅れてきた友人を満面の笑みで迎えることが出来たりする。

 

『モモ』はドイツ人の児童文学作家ミヒャエル・エンデによって書かれた。

あるとき突然現れた灰色ずくめの男たちによって人々の時間が盗まれてしまい、主人公の少女モモが奪われた時間を取り戻すために戦うというのがざっくりとしたあらすじで、児童文学らしくメルヘンで幻想的なお話だ。

しかし、それだけではない。

物語に出てくる時間の番人マイスター・ホラは言う。

 

光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、その心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじなようにね。(P.236)

 

 

毎日あくせくと決められた仕事をこなし、せかせかと早足で歩いている私たちの時間ははたして生きているのか、死んでいるのか。いつもよりせかせか歩いたことで生まれるはずの時間は一体どこに消えるのか。「心」が豊かであるためには何が必要なのか。

この物語を読むと、そんなことを問いかけられている気がするのだ。

月曜日に重い身体を起こして出勤し、土曜日になって「休みだー!!!」とサンバを踊りかねないくらいはしゃいでいる私の平日5日間は、もしかしたら灰色の男たちに盗まれてしまったのかもしれない。

朝の電車も、仕事中も、休日も、遅刻魔の友人を待っているときも、同じように時間を感じることのできる心でいたい。それが本当の意味での「豊かさ」だと思うのだ。